「民主政治の悪い効果、しかし事故を起こすことはできない」
「南方週末」2009.1.15. 作者:張英
(前略)
今日の米国の民主制度はすでに傷だらけである。危ない現象は、当時アメリカ人の選挙権が普及していなかった時、有権者はかなり判断力があったので、毎回選挙された政権機構にもよく反映された。その後、選挙権は次第に拡大し、有権者の人数も次第に増加して、有権者の平均的な質は次第に下がり、選挙で選ばれた政権機構の水準も様でなく、格差はわりに大きい。
だから、世界に完璧な制度はない。比較して言うと、民主政治の効果は悪い。チャーチルは言ったことがある。民主主義はあまりよくないが、民主主義はとても安全な制度で、事故を起こすことはありえない。イギリスで実行される政治制度で、政務官が3ヶ月しても効果がないときは去ってもらい、交代するので、大きい災いに突進することはありえない。
日本も一つの著しい例だ。今の首相を含めて、麻生家は五代が首相となった。日本から明治にずっと今まで、日本の政権担当者はとても狭い枠から出るので、日本の金権・軍に対する指導権・政権はすべてこの狭い枠の中にある。日本の政治制度の適応の調節能力は非常に悪い。日本の国家はとても富んでいるが、庶民はとても貧しくて、庶民は毎日つらい苦労をしている。日本の民衆は食事をしてほんの少しで、住宅はほんの少さいところに居住しているが、全国の膨大な累積財産は、すべて特権層に累積している。
シンガポールは寡頭政治の例で、リー・クアンユーの有能さのため、彼は他国に併呑されることを免れることができた。彼はイギリスで教育を受け、法律を重視した。立法は過酷で煩わしかったが、法律の執行は明快だった。リー・クアンユーとともに、いっしょに立ち上がった人々で、言うことを聞かない年を取った仲間はすべて下野し、残ったのはすべて指導者としての彼の話を聞いた。それはまるで1つの大会社のようで、彼はそのCEOだった。今は息子が首相で、彼は政策顧問になった。もし彼の孫が勤務を引き継ぐことになれば、代々の政権維持が長くなり、王朝になるだろう。
(中略)
そのため、道具としての理性と目的としての理性は同じではなく、目的としての理性は民主主義の範疇にあり、ふたつは組み合わされている。
シンガポールのの例から、私達はすでに2つの事を見抜いた。第一に、シンガポールの民衆の中で、中等以上の知力をもつものは基本的にすべて楽しくないので、多くの民衆はすべてオーストラリアとヨーロッパ、アメリカに移住していった。第二に、その制度の中で選抜された人は、ますます利口になり、言うことを聞くが、官吏は創造的な才能がない。人材の欠乏のため、シンガポールは、今、大陸、台湾、香港と全世界から人材を募集し始め、国家の革新の動力と新しく生まれる血液を保証することを望んでいる。
台湾の人口の100人の中の80人は投票するが、米国は100人の60%が投票するだけだ。だから、台湾の大衆の主張は、前世紀の70年代と、80年代は比べることができない。
(中略)
世界で完璧な政治制度がある国家は一つもない!
ドイツにとって、ドイツらしいしなやかな精神で、国家は至上である。ドイツで地方に権力が分けれているのはとても強く、各州の権力はとても強い。米国の制度の欠点は、民主的な俗化であり、論壇は次第に枯渇して、今は《ニューヨーク・タイムズ》だけなので、有権者の素質は不足し、財団の影響は大きすぎる。
理想的な政治は公民から1人の党派を超えた大統領し、彼が行政と議会と司法の三つの部門を調整することだ。彼は特定の主張をもたず、問題が紛糾した時、法律によって実行する。議会は行政の求めることを拒否した場合は、議会の解散、あるいは内閣の総辞職となる。再び選挙して、公民は間違いを正す。選挙で逆転したときは議会の間違いが正され、新しい議会は政府の条件に協力するし、もしくは新しい内閣が、議会の政策を実行する。
世界で完璧な制度がなくて、もしも仕事の能率を言うなら、ミツバチとアリの社会は理想を求めないが、とても効率的である。しかし、それは私たちの選択だろうか? 私たちは、すべてよく必ず考えてみなければならない!
http://www.nanfangdaily.com.cn/nfzm/200901150106.asp
【翻訳:Noah】
とても抑制されて複雑な論考だ。識者を紹介し、中国の歴史における儒教の考察で、読者を翻弄し、自由主義陣営の「民主国家」を「批判」し、ようやく最後に短い主張が展開されている。現在の、中国人ジャーナリストの複雑な思考がうかがえる記事だ。
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