2011年9月13日火曜日
スローシティは、「ゆっくりしたまち」ではなく、環境共生都市のことだ。
小都市の伝統文化と自然環境、芸術を守るまちづくり運動で、1990年代にイタリアで始まった。
認定されるには、一定条件を満たす人口5万人未満の地方自治体でなければならない。2009年、17カ国・123都市がスローシティに認定され、このうち韓国は、全羅南道の新安郡、莞島郡、長興郡、潭陽郡、慶尚南道河東郡、忠清南道礼山郡がふくまれている。
2009年秋の釜山訪問で、スローシティの国際連盟メンバーに出会った。
スローシティ国際連盟と韓国スローシティ本部の関係者の調査団が、釜山を視察していた。釜山市は、調査団に洛東江河口エコセンター、乙淑島一帯、芸術家らの作業空間「アートファクトリー・イン・多大浦」などを紹介した。
ただ、アートファクトリー・イン・多大浦の代表は、甘川2洞のまちづくりも強力にすすめている。
古い漁港・甘川(ガムチョン)を望む急傾斜の斜面いっぱいに甘川2洞(イードン)のまちが広がっている。
1950-53年の朝鮮戦争は、朝鮮半島全体を巻き込み、釜山は、大韓民国の臨時首都になった。
全国から殺到した避難民は、釜山の急傾斜地にバラックを作り、移り住んだ。
戦後も、故郷には帰ることのできない民衆が住み続ける中、甘川2洞は、「前の家は、後ろの家の眺望を奪ってはいけない」という独特のルールを編み出した。
甘川2洞を第2の故郷にした民衆の知恵だ。
ちょうど、昨日は、韓国の秋夕(チュソク、日本のお盆)だった。
釜山の湾に浮かぶ影島(ヨンド)の上に昇る満月を、甘川2洞の住民も楽しんだことだろう。
韓国の民衆に残るタルトンネ(月待ちの村)だ。
家々は、きれいなパステルカラーに塗り分けられ、迷路のようなまちは、多くのクモの巣のような路地でつながっている。
山腹には、横断道路があるのだが、そこ以外は、車も、自転車も入れない。
いま、住民の高齢化で空き家も増えた。
そこに、青年芸術家が移り住み、ストリートアートや、ポップカルチャーを創造している。
昨夜見たNHK「クローズアップ現代」は、「釜石復興 ~再生への格闘~」とあった。
「大震災で壊滅的被害を受けた釜石市で、町の復興計画が本格始動している。かつて製鉄業で栄えたが、震災前には人口が最盛期の半分以下4万弱に落ち込んで いた釜石。復興で千年後も評価される町に作りかえるという。「目標は9月末。」市長の特命チームのもと、大学教授や市民が安全と産業振興を両立した町の模 索を始めた。震災直後は安全のため町全体の嵩上げ案が出たが、概 算で工期15年・費用は400億円と判明。現実性は乏しい。長引く計画策定に希望を失った市民は町を去り始め、それが復興後の人口を不明にさせ、計画を難 航させている。そこで特命チームが頼ったのが建築家の伊東豊雄氏。“町を一から作り直すデザイン”を描き始めた。世界的に注目される一大事業に挑む人々の姿を伝える。」
伊東豊雄のデザインも悪くはないのだが、斜面のまちづくりのルールが見えない。
大槌町など、財政的にも厳しく、産業復興の道も険しいところが、三陸の現実だ。
海岸線には、冷凍倉庫など、大規模施設を集積し、道路を広く取り、斜面のまちづくりに取り組んではどうか。
甘川2洞のまちなみは、一目で作り方がわかる。
自動車が入れなければ、途中で休むところも必要で、あがりかまちに座れる場所があり、そこには、小さな家庭菜園もある。
韓国の避難民ができたまちづくりを、日本人ができないことはあるまい。
| 大韓民国釜山広域市甘川2洞 |
0 件のコメント:
コメントを投稿