始めて総選挙の応援をすることになったのは、2009年8月17日(月)の一本の電話からであった。
郷里の一級上の先輩から、総選挙に急に出ることになったので応援してくれないかとの、じきじきの電話である。電話口からも、そのあわただしさがうかがえ、翌日の公示日に選挙事務所を訪問することを約した。
とはいえ、公然と選挙活動を行なうのは初めてで、いくつか気にかかることはあったが、遠く離れた選挙事務所に通うことにした。
始めて会う人々は、みな庶民で、「庶民革命」を標榜した選挙にはふさわしいのだが、初日の公営掲示板へのポスター貼りで、靴擦れが出来たのはなさけなかった。
翌日からは、配布ビラの折込みと帳合いである。
何万枚ものビラは折れども減る気配は少しもなく、同窓の先輩に叱咤激励をされての作業であった。
さらに、候補者が公認を得た政党も8月8日に成立したばかりで、その主張もわからないのだ。ネット上で検索したところ、識者の評判はいいのだが、惜しむらくは宣伝期間がなかった。
候補者も、地元の知名度はあるようなのだが、新政党と国政選挙となると、これまでの地元の市民活動とは肌合いも異なる。
さらに、組織らしい組織の応援もなく、おばあちゃんが自宅でお友だちとビラ折を分担してくれているのが唯一の「別組織」であった。
候補者の家族と、アメリカ滞在時代の友人、郷里の同窓生だけがやや組織立っているとはいえ、連絡を取り合って、態勢が出来てくるまでに一週間が過ぎたのも致し方ない。
ご主人も、連日の休暇で、連日、汗だくの応援である。
地元の年配の女性たちが集まり始め、お互いに顔なじみになってきたのを期に、地元のビラ配りを始めた。
意外に起伏の多い地形を昇り降りしながら、地形の特徴を読み取ろうとするのだが、低い台地を区画整理なしに開発してきたことがわかり、東京都内まで通勤している人々の日常生活の大変さがしのばれた。何しろ、下町らしい商店街がなく、都市農地もないので、まちに潤いが感じられない。
それでも、住宅街の裏通りは、車がめったに来ないので、子どもたちの遊び場所となり、小さい子づれの母親のまちかどサロンもできている。にもかかわらず、この地域の一票の重さが、日本で一番軽いというのだ。
だから、地元の政治に関心を持てず、国政選挙の投票率が低いことも、市民の政治的な無関心を広げている。
一軒ごとにビラを入れながら、時おり、住民とあいさつを交わす。
郵便屋さんと、新聞配達以外に、まちを回っている人はいない。
大きな家並みの地区もあれば、木賃アパートの多い地区もあった。
コミュニティ会館らしき建物も見かけたが、公民館でもなさそうだ。
この地域の人は、映画や演劇を観ることがあるのだろうか。
また、リタイアして在宅中心の生活になったときの生きがいはなんだろうか。
思いは、路地を駆け巡るうちに、選挙期間も最終版に突入した。
1日に1,000枚を超えるビラ入れは、目が回りそうになる。
何しろ、一休みのできるところのないまちだからだ。
小さくとも、まちかどに植栽コーナーやベンチが置けないものか。
トイレや水飲み場も見あたらない。
これでは、市民に愛着を求めても難しい。
世田谷区のように、もっと細かな地区割りの支所制度を設け、市役所の機能を分散すべきだ。そして、小さな集住地区ごとの特色を出すべきだと考える。
最終日は、先約のため、最後まで応援できなかったのも気にかかり、投票日はカツカレーで心ばかりの応援をした。
結果は、9.35%の得票率で、選挙区3位の堂々たる結果であった。1・2位がそれぞれ前職であるのだから、庶民はその一角を崩したといえよう。
2009年の8月にこうしたできごとがあったのも、歴史の一幕である。
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